29 April 2011

花を飾る




テットドール公園で、チャリティー目的でチューリップを売っているおじさんを見かけた。

家族揃って花粉症なので、うちでは花を飾るということを滅多にしない。これが他の花だったら反応しなかったと思うんだが、ワタシ、チューリップは大大大好きなんである。

ものすごーく感じのいいおじさんで、ひと束5€だけど三束10€でいいよって。ま、結構開いちゃってるしね。


持って帰ってダイニングに飾ったら、この紫がかったピンクが、後ろの壁にかけてある絵の中の花を同じ色だった。

24 April 2011

社会復帰



帰宅してすぐ、スーツケース三個分の洗濯をした。タンブラー乾燥機というのは、なんと素晴らしい発明であろうか。

旅行のレポートは… 多分そのうちちょびっとだけ… だって写真が全滅だったんだもん… ←いつもの話じゃないのか…?

15 April 2011

vacances de pâques




ムスコの学校は明日から(というか今日の午後2時55分に終業チャイムがなってから既に)春休みに突入。迎えに行って帰宅する際、フリーウェイはパリへ向かって旅行に出かける車で大混雑だった。今朝おとーさんが二週間の出張から帰宅したこともあって、ムスコはもううれしくて仕方ないようである。



日本の春休みは学年と学年を分けるものだが、六月・七月まで学年が終わらない西洋で春休みと言うと、もともとはキリスト教・復活祭の宗教的なお休みだった。現在アメリカでは各方面から力がかかっていて、もう何年も前から公にはこの休みをEaster Break(復活祭のお休み)と呼んではいけないことになっている。キリスト教徒じゃない人には意味のない呼び方だということで。今の政治的に正しい呼び方は、ごくごく当たり前にSpring Break(春休み)。

フランスでも公の場で宗教の話はしちゃいけないことになっているはずだけれど、ワタシの周りにはこの休みをVacances de Pâques (復活祭休み)と呼ぶ人は多い。これも本当はVacances de Printemps(春休み)と言わなきゃいけないらしいけど、昔からの癖がなかなか抜けないと言ったところかしらん。



ちょっと最近イタリア語がちろちろ頭の中に顔を出していて、フランス人と話をしていてこのPâques をPasquaと呼んで「は?」と言われたのは、何を隠そうこのワタシです。

11 April 2011

今を普通に、元気に過ごすこと






どうやら少しは落ち着いた様子かなぁ… 余震もすこしずつ収まってきてるみたいだしな… そろそろ、春休みの旅行の事を考えようかな…。

…と思った矢先にどーんと来る地震。

今現在の不安や恐怖から抜け出せなかったら、明日の事を考える余裕なんかない。そんな状況でどうやって国の経済や個人の生活の再建に集中できるだろうか。


日本に居る人達―日本人だけじゃなくて、日本に残る決心をした外国の方達や、事情はどうあれ日本から出るという選択がない外国の人達も含めて、日本にいるありとあらゆる人達―全員が今経験している暗闇のその濃さを思うと、胸が痛む。吐き気がする。そしてこんな風に思っても全く生産的でないのは分っていても、自分の暮らしがもう全く地震に影響されていないことに罪悪感を感じて仕方ない。


阪神大震災の時はホノルルに住んでいたが、個人のインターネットアクセスは普及しておらず、自分ではテレビも持っていなかったので、ニュースは印刷物に頼るのみだった。日本の報道はもちろん入手できず、情報と言うとニューズウィーク誌やタイム誌、地元新聞の「外国報道」だけ。しかも印刷媒体だから伝達がリアルタイムではない。今回は状況がもう全く違っていて、もうごめんですと言いたくなる位の量の情報が、何か起こると同時に(よく考えたら驚くような速さで)どんどん入ってくる。例えば揺れが来たとき、Twitterでは地震速報よりも現地にいる人のツイートの方が速いのだ。ここひと月、ワタシがiPhoneの画面を見つめている時間はこれまでの二倍・三倍どころの話ではない。電話がパンクしていてもツイートですぐ安否確認ができたりするのはありがたいことだけれど、リアルタイム情報の奴隷になってしまっている自分がいるのを否定できない。


**************

今、この記事を読んでくださっている、日本国外に住む皆さんへ。

先だって某所でものすごーく「うんうん、うんうん」と思う記事を読んだので、リンクを貼っておきます。→ここ

「身近な人たちを、自分の普段の生活を犠牲にしていないでしょうか。」「いつもよりもお子さんにかける時間が少なくなっていませんか?」という件を読んだときは、家事と子供をないがしろにしてiPhoneやPCに張り付いている自分の現状をずばり指摘されたようで涙が出ました。

この記事に書かれているように、「今を普通に、元気に過ごすこと」を忘れずに、日本への支援を長く続けていくために」自分が何をすればよいのかよく考える。あの大きな地震が来てからひと月経つ今日、誓いを新たにして、今日の明るい青空の下へ踏み出そうと思います。



*写真は去年のちょうど今頃訪れた、プロヴァンスのVentabrenという村で宿にしていた家の、そのお向かいのお宅(説明が長い)。明るい色の壁がとても可愛い。楽しいこと、楽しかったことを努めて考えるようにしないとな~と思ってアップしました。

05 April 2011

春の気配




ここひと月ほど、暖かくなったりまた寒くなったり…を繰り返していたリヨン。今週の予報を見ると、今日以降は最高気温が20℃以上の日が続くらしい。四月初旬としては、平年よりはすこし暖かいそうだ。


日本だとまず梅の花が咲いて、次に桃の花が咲いて、そして桜の花が咲いて…と順を追って春の訪れを確かめることができる。リヨン市内には残念ながらそういう季節の花を愛でる心をくすぐるものはほとんどなくて、ああ春だなあと思わせるのは、気温の上昇と路上に黄色く固まっている花粉の山。ちなみにリヨンには秋だなあと思わせるものもあんまりない。このあたりの木の葉っぱは赤くも黄色くもならず、寒くなったなあと思ったら急に落ち始めて木が一気に裸になる…という具合で、ぜーんぜん風情がない。

でもね、昨日、ムスコの学校の近くの駐車場で、桜の花びらで水玉模様になっている車を発見!桜って、散った花びらも美しいんだよねえ。たとえ車のボディにこびりついているだけだとしても。

変わらないその想いを、今(←音出ます。)