30 December 2010

駆け足の2010年


1月。雪、雪、雪。


2月。もっと雪。


3月。忙しかったのか(←記憶にない)、ひと月の間に二回しかカメラ持って外出していない。


4月。南仏。


5月。生活が落ち着いたので積極的に近場に出かけていた(ようだ)←これも記憶にない。これはアヌシー。


6月。学校を二日さぼらせてロンドンへ。


7月。革命記念日のパレード。


8月。オットとパリへ三日間脱走。


9月。ボージョレーでワインを買い込む。


10月。義母が来たのでリヨン市内をあちこちご案内申し上げる。



11月。ミラノで食中毒にあう。


12月。いきなりどっさり降って積もる。



…とまあ、雪に始まって雪に終わった一年でした。実際はここんとこ結構暖かくて雪なんか影も形も全くないんですが。

食中毒とかなり重度だった春の花粉アレルギーとひんぱんなウィルス感染を除くと、健康に過ごせた一年でした。いや、嫌味じゃなくて、大きな病気はしなかったという意味です。ホント。

言葉が不自由な異国で一番何が心細いかって、やっぱり病気や怪我だと思います。痛みや症状をドクターに詳しく解り易く説明するのって、母国語でも決して簡単なことではありません。当方は仏語が流暢ではないし、ましてや病状・病歴の込み入った話になるとドクターに英語を理解してもらうことを期待するしかないのですが、今までかかったドクター達は全員英語は「外国語」、つまりバイリンガルではない方々。英語が話せるのが売り物の歯医者に行ったらドクターの英語よりムスコの仏語の方がレベルが上だったし、ムスコが花粉症で苦しんでいたときに診てもらったドクターはかなり英語が達者な方だったにもかかわらず、三回診察してもらって三度目に初めて「え?そうだったの?」なんてこともありました。この同じドクターにワタシもかかっているのですが、病歴を追っていて以前アメリカで受けた手術の事を言ったら、その手術を意味する英単語をご存知なかったりとか。

英語が通じるだけでもとてもありがたいとは思います。ただ、ドクターや病院スタッフとの意思疎通で治療の展開や結果に大きく影響が出る大病や大事故での怪我なんかは、フランスにいる間は絶対経験したくないな~といつも思うのです。

我々の場合は英語圏から仏語圏への移動だったのでアルファベットも同じ、単語も似たような綴りが多いので(まあそれが節穴だったりもするのですが)、苦労と不安のレベルは比較的低い方だと思います。フランスに来てすぐ、街で見かける表示(店の看板、メニュー、道路標示…それこそ何もかも!)が読めないことにものすごーーーくストレスを感じたものですが、英語とスペイン語しかできない人がいきなり日本か中国に住むことになったら、その人の苦労と不安は、ワタシが渡仏当時感じていたそれの何倍も何十倍も深く広く暗いものに違いありません。

そんな意味で、フランスがどうのこうのという以上に、精神的安全圏外に住むということや、「住みやすい場所」というのは一体どういう場所なのかということ(*1さらには住みやすさは何が大事で何が当たり前かによって違ってくるけれど、「当たり前」って一体何なのか(*2)なんてことを、色々考えた一年でありました。

もうひとつ。長い間アメリカに住んでいて、以前から常々、日本から旅行でアメリカに遊びに来ている日本の人よりも、アメリカに移住して地元に馴染んでいるドイツの人(またはスウェーデンの人だったり、あるいは中国の人だったり)の方が、自分と共通点が多いことは実感していました。今親しくしているお友達も、英語が共通言語である非フランスの方がほとんどです。これは現在ワタシの毎日のスケジュール・交友サークルがムスコの学校中心に回っていることが主な原因でもあるのですが、このことから始まって、異邦人コミュニティーという存在をとても意識した一年でもありました。

生まれた国を離れ、もともとは異国であった地を「今の家」として人生の基点にしている人たちには、言わなくても通じる理解が生まれます。そしてこの理解は相互サポートの精神にそのまままっすぐ繋がっているのですが、助け合おうという気持ちに、生まれた国が同じかどうかは全く関係ありません。この流れで、インターネットを通して、世界のほかの場所に存在する異邦人コミュニティーと繋がりをもてるようになったことも、今年得た一番大きなものの一つだと思っています。


今年の終わり(もう明日!)で渡仏一年半、赴任期間三年の折り返し地点。

来年はどんな冒険が待っているでしょうか。フランスにいて、ヨーロッパにいて、観光したりおいしいもの食べたり。もちろんそういう具体的なことも楽しんでおきたいとは思いますが、時間切れになる前にもっとレベルを上げて、自分の中身を充実させて勉強になる分野にも挑戦していきたいなと思います。思うだけじゃだめなんだけどね。頑張れよ←自分。あ、それから食中毒は避けたい←超真剣。

皆様、2010年もこんなワタシとわが家族にお付き合いいただいて、本当にありがとうございました。2011年も皆様にとって、実り多く、そしてなにより平和な一年でありますように。

どうかよいお年をお迎え下さい。



(*1)これは夕食の会話のネタになることも多く、オットとも何度となく話してきました。これまでの討論の結果を言うと…「住みやすい場所。そんな場所、ない。」これです。どこに行っても、文句を言おうを思ったら文句の種は見つかるもんです。実際ワタシも引っ越すたびにあれやこれやぶつぶつ言ってきました(深ーーーく反省)。逆に、結婚してから今まで住んだ場所(米国内三ヶ所+フランス)のいいところを指折り数えてみると、沢山あるある。

住みやすい場所というのは、青い鳥なのかもしれません。探してもないということは、つまり逆に言うと、今いる場所が住みよい場所なのかもしれない、もっと正確に言うと、今いる場所を住みよい場所に「変える」ことができる、そういうことだと思います。

つい先日Twitterで読んだつぶやきに、「沖に出て、行きたくない方向に流されそうになったら、風の向きを変えようとするな。帆の向きを変えよ」というのがありました。環境は変えられないけれど、自分の態度は変えられますね。そう考えたら、めげそうなことがあっても少し前向きに対処していけるような気がします。

(*2)当たり前=常識。これも、フランスに来てから吹っ飛んだもののひとつです。郷に入れば郷に従えと言いますが、郷の数だけ常識のセットも存在するのです。フランスに来てから「常識はずれ」のことをして恥ずかしい思いもしたし、また、自分は今までなんて狭いレンズで世界を見ていたのだろうと愕然としたこともあります。でもこればかりは、外に出てみないと分からないことなんですよね。恥ずかしい経験も、みじめな思いも、受け入れる容量の大きい人間になるためのえさになってくれれば、無駄ではなかったことになります。


Bonne et Heureuse Année!




27 December 2010

大掃除




年末の大掃除。うちは、アメリカの家庭なので…と言い訳して逃げる。アメリカでは、大掃除は春にするものなので。暖かくなってからパッと窓を開け放して、溜まった埃を逃がして新しい空気を入れて…という思考らしい。

とはいうものの、春になると、うちは日本の家庭なので…と言ってまた逃げる。今は、ここはフランスだから…と言って逃げるという手もある。日頃ちゃんと掃除してれば、大掃除なんて必要ないんだよねえ…。


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タンタンの缶が欲しくて買ったクッキー。大きさが裁縫箱にぴったりと思って。カラになったので今までタッパウェアに入れていた針・糸・ボタン等々を移動したら、本当にきっちりぴったしの大きさだった。こういうのって、うれしい。


タンタンって、日本では少年だと思われている(と思うのだ)けれど、コミックで見る限りもうちょっと歳が上。多分16歳くらいだよな~と思っていたら、ほ~らやっぱりそうだった。16歳って、もう少年じゃないよねえ。


図書館で借りたコミックを、ムスコと一緒に楽しんでいる昨今。



22 December 2010

クリスマスに思う




先日、ムスコがとうとうサンタクロースに関する真実を知ったようだ…と書いたが、どうやら彼はまだ完全に敷居を越えてしまったのではないことが分った。

どう考えてもおかしい、一晩でどうやって世界中回ってプレゼント配達するんだ…と、頭の周りに疑惑の雲はぐるぐると渦巻いているのだが、物理的に無理、よってサンタさんは存在しない、という確固たる結論にはまだ達していないようなのだ。

先日の発言も後から思い返すと、「おとーさんとおかーさんがサンタさんだったんだ」ではなくて、「おとーさんかおかーさんがプレゼントくれてたのかもしれないしね」的ニュアンスであった。きのうもまた「サンタさんを捨てきれてません」スタンス表示の発言があったし…。母はなんだかほっとしたような、でも一旦「そうか、とうとう」と思ってしまったのでなんだか力が抜けちゃったような。


ムスコ三年生、もうすぐ九歳のクリスマス。



去年は訳あってクリスマスを一緒に過ごせなかったので、今年は三人一緒にいられるだけで限りなくうれしい。友人知人はほとんど旅行で留守、ディナーに呼ばれているわけでもなし、お客様を呼ぶ予定もなし。イブの晩の礼拝には出かけるが、プレゼントもオットと相談してムスコの分だけ用意して(…と言いつつも、オットには一応ちょびっとだけ用意した。スキー用靴下二足セット。それだけ。←きっぱり)、留守中の隣人のペットの世話をしながらの、地味~なゆる~いクリスマス休暇。


こうやって三人だけで時間を紡げることが、一番のプレゼントだと思う。


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米国・欧州ともにあちこちで空港閉鎖、飛行機・電車のキャンセルが続いています。どうか皆様、帰省のトラブルでストレスを溜めたりなさいませんよう、無理なさらず、お体を大切に、暖かいクリスマスをお過ごし下さい。

Joyeux Noël! (←音出ます。歌詞はこちら)  

18 December 2010

冬休み突入




金曜日が今学期最後の登校日のはずだったが、大雪の予報が出されたので大事をとって、授業がキャンセルされることになった。冬休みが一日早く始まることになって、子供達は大喜び。母のワタシも、寝坊はできるしお弁当作らなくてもいいので、実はちょっと喜んだのであった。

しかしそれほど手放しで喜べなかったのが通知表…。詳しくは語るまい。来学期はもうちょっと「おしゃべりを減らして」「先生の言うことにちゃんと耳を傾けて」「集中して」(以上すべて先生方のお言葉。おっしゃる通りでございます、と授業風景を見たこともないのにはっきりと目に浮かぶ様子に赤面しながらうなずいてしまう母)授業を受けて欲しいと思うのであった。


冬休みの間、お友達は一人残らず旅行に出かけてしまうので、ムスコには遊び相手がひとりもいない。オットは結局休みを取らないことにしたそうで(他の人はみんな旅行で出かけてしまうので、じゃあ僕がオフィスで留守番しますと名乗りでたらしい。お人よしというかなんというか)、ということは、二週間半、ムスコの相手をするのは…。

写真は12月8日の光の祭典の際に用意したキャンドルの群れ。ヨーグルトの瓶、全部で118個。これでも窓際を全部カバーできなかったので、来年までにあと20個くらい足さないといけないかな。

13 December 2010

いらっしゃいませ と おかえりなさい



うちの玄関、クリスマス仕様2010年バージョン。 

10 December 2010

クリスマスカード

 

 


会いたいのに、会えない人達。海の向こうとか、天国とか。

クリスマスのお祈りが、届きますように。

08 December 2010

はっ



 
 …と今、気づいた。

来週の金曜日で一学期は終わりである。ムスコの冬休みが始まってしまうではないか。

オットはオットで24日から大晦日までの一週間休みを取る予定らしいが(ホントにそんなに取れるのか?)、出張や親戚の不幸であちこち飛び回っていて疲れているらしく、休みの間は家でごろごろしていたいと言う。前回の家族旅行は楽しいもんじゃなかったしね。そんなわけで、クリスマス・新年はどこへも出かける予定なし。


ま、いいんですが。うちの男性陣がふたりとも一週間ずっと家に居たら、片付けても片付けても…という状態になること間違いなし。しかも、うちにいるとなると、おかーさんは食料の買出しとかご飯の支度とか食後の片付けとか、いつも通りのお仕事があるのだ。


そうか、おかーさんに冬休みはないのか…。よし、今のうちにさぼれることさぼっておこうっと。←ちょっと違う…。

06 December 2010

サンタクロースはいるのです

  

 

人類初の有人月周回ミッションを行ったアポロ8号。ミッション四日目、月の裏側に行って地球との交信が中断した後、ジム・ラヴェル飛行士はヒューストン司令室との交信再開に成功する。時は1968年、12月24日… つまりクリスマスイブ。

その際の、司令室とラヴェル飛行士との会話。


ヒューストン: アポロ8号、こちらヒューストン。
(応答がない)
ヒューストン: アポロ8号、こちらヒューストン。
(応答がない)
ヒューストン: アポロ8号、こちらヒューストン。
(応答がない)
ヒューストン: アポロ8号、こちらヒューストン。
(応答がない)


四度の問いかけに応答がなく、恐らく緊張で空気が張り詰めていたのではないか。司令室は再度問いかける。

ヒューストン: アポロ8号、こちらヒューストン。

と、

ラヴェル飛行士: ヒューストン、こちらアポロ8号。

この声を耳にした関係者全員、安堵のため息をついたに違いない。その様子が目に見えるようである。


ヒューストン: アポロ8号、はっきりとよく聞こえます。

アポロ8号側にとっても、大きな安堵の瞬間だっただろう。そんな背景を踏まえていると理解できる、ラヴェル飛行士の司令室への返事は…


ラヴェル飛行士: 了解。連絡事項です。サンタクロースは存在します。
 
そしてその返事に司令室からは、

ヒューストン: 了解。そちらが一番信頼できる筋ですから。



な~んて、日本語に「訳して」しまうと固くなっちゃって、気の利いた会話も全然おしゃれじゃないわ。ま、落語を英語に訳せないのと一緒なんですが、でもこういうシリアスな場面でこういうジョークって、日本だったら絶対ありえないと思います。


今年はとうとうムスコが「サンタクロースっていないんだよね。ダディとマミィがサンタだったんだ」と発言。サンタが存在しないということに気付いたムスコよりも、自分の子供がとうとうそんな年齢になってしまったと知らされた母親の方に、ショックが大きいようである。


それでも母は用意する。サンタさんからのプレゼントを。


注意事項:

サンタクロースからのプレゼントは、クリスマス(つまり25日)の朝、目が覚めたら届いているというのが普通です。ということは、プレゼント配達中のサンタを目撃するとすれば、イブ(=24日)の夜しかありえません。月の裏側から、地球の自転スピードと戦いながらプレゼント配達に急ぐサンタクロースの姿が、ちらっと見えたに違いないと、ワタクシは信じます。

アポロ8号ミッション、実際の会話の記録はこちら。サンタクロースに関する会話は結構下の方になりますが、089:31:12からお読み下さい。

そしてもちろん元々のその元々の気の利いたお話は、こちらこちらをどうぞ。



03 December 2010

冬は寒い




今住んでいる建物は19世紀築のものである。我々の部屋はごくごく最近改築されていてモダンな部分もあるが、「骨」は古い建物。暖房のシステムも「骨」の一部なので、お湯を使う古いタイプのセントラルヒーティング(湯沸かし器だけはモダンなもの)。家中にお湯の管がめぐらされていて、お湯の通っているラジエーターから発散される熱で部屋を暖かくする。
 
温度のコントロールは、湯沸かし器のお湯温度設定と、各部屋にあるラジエーターのノブで調節する(開ければ暖かい、閉めれば寒い)。

日本で部屋に設置されているエアコンや、アメリカで建物についているセントラル・エアコンは、希望温度を設定すれば機械が勝手に現状の部屋の温度を感知して、温度を上げるなり下げるなりしてくれる。

うちの暖房はそうじゃなくて、設定するのは流れてくるお湯の温度と各部屋のラジエーターで放たれる熱の量のみ。つまり、外が寒いとき(=家の中も冷えるとき)は、設定をそのままにしておくと部屋の温度も下がるのだ。窓大きいしね、明るくてよいのだけれど、熱気ロスもその分大きい。

だから、気温が下がる(または上がる)度に、湯沸かし器のお湯の温度を上げる(下げる)なり、各部屋歩き回ってラジエーターのノブをいじくるなりして、室内の温度調節をしなくちゃいけない。
 


これをちょっと面倒に感じるのは、やっぱりアメリカの超便利生活(ずぼら生活ともいう)に慣れてしまった人間の我儘だろうか。アメリカに住んでいると、自然からとても切り離された生活を送ってしまうことが可能である。セントラル・エアコンで、外が真夏日だろうが氷点下だろうが家の中はどの部屋もいつも快適。車庫は家にくっついていて、しかもガレージのドアは車の中からボタンひとつでオート開閉。土砂降りでも、家の中まで全く濡れずに入ることができる。

フランスでの今の生活とは、かなりの差がある。うちの暖房は特に効率が悪いらしく、温度設定を結構高くしていても、家の中が冷える。特に足元がすごく寒いので、足首の隠れる部屋履きは必須。中は靴下二枚履き。上半身は最低三枚重ね。PCのある部屋は特に冷えるので、ブログ書くときや写真を取り込むときは、フリースのジャケットを羽織ったりもする。長時間いると手もかじかむので(!)、指なし手袋はめてキーボードに向かうこともある。←冗談ではありません。

なんで自分の家の中でこんなに寒い思いするかなあ~…ぶちぶち。と言いたくなることがある。でも、でも。冬は寒い、夏は暑い。もともとはそれが当たり前なんだよねえ。


寒いときにしかできないこと、寒いからこそ楽しいことをしよう。

あ、でもこたつがあったらなあ…と、買ってきたみかんの山を見ながら思ったりはするのであった。

01 December 2010

十二月に入ったら





扉を開ける月。No.25まで全て、中身がすでに待機中。






リヨンは昨日の午後から降り始めた雪がどっさり積もって、一晩でウィンター・ワンダーランドと化した。

 




今日は走ってないバス路線が多く、ムスコの学校は休校。今夜も降り続くらしいので、明日も多分休校だな。オットは「市外に住んでる人は多分みんな来ないから」と、ジーンズで出勤した。






外で遊び疲れて体も冷えたし、あたたかいココアでも作ろう。