1月。雪、雪、雪。
2月。もっと雪。
3月。忙しかったのか(←記憶にない)、ひと月の間に二回しかカメラ持って外出していない。
4月。南仏。
5月。生活が落ち着いたので積極的に近場に出かけていた(ようだ)←これも記憶にない。これはアヌシー。
6月。学校を二日さぼらせてロンドンへ。
7月。革命記念日のパレード。
8月。オットとパリへ三日間脱走。
9月。ボージョレーでワインを買い込む。
10月。義母が来たのでリヨン市内をあちこちご案内申し上げる。
11月。ミラノでも食中毒にあう。
12月。いきなりどっさり降って積もる。
…とまあ、雪に始まって雪に終わった一年でした。実際はここんとこ結構暖かくて雪なんか影も形も全くないんですが。
食中毒とかなり重度だった春の花粉アレルギーとひんぱんなウィルス感染を除くと、健康に過ごせた一年でした。いや、嫌味じゃなくて、大きな病気はしなかったという意味です。ホント。
言葉が不自由な異国で一番何が心細いかって、やっぱり病気や怪我だと思います。痛みや症状をドクターに詳しく解り易く説明するのって、母国語でも決して簡単なことではありません。当方は仏語が流暢ではないし、ましてや病状・病歴の込み入った話になるとドクターに英語を理解してもらうことを期待するしかないのですが、今までかかったドクター達は全員英語は「外国語」、つまりバイリンガルではない方々。英語が話せるのが売り物の歯医者に行ったらドクターの英語よりムスコの仏語の方がレベルが上だったし、ムスコが花粉症で苦しんでいたときに診てもらったドクターはかなり英語が達者な方だったにもかかわらず、三回診察してもらって三度目に初めて「え?そうだったの?」なんてこともありました。この同じドクターにワタシもかかっているのですが、病歴を追っていて以前アメリカで受けた手術の事を言ったら、その手術を意味する英単語をご存知なかったりとか。
英語が通じるだけでもとてもありがたいとは思います。ただ、ドクターや病院スタッフとの意思疎通で治療の展開や結果に大きく影響が出る大病や大事故での怪我なんかは、フランスにいる間は絶対経験したくないな~といつも思うのです。
我々の場合は英語圏から仏語圏への移動だったのでアルファベットも同じ、単語も似たような綴りが多いので(まあそれが節穴だったりもするのですが)、苦労と不安のレベルは比較的低い方だと思います。フランスに来てすぐ、街で見かける表示(店の看板、メニュー、道路標示…それこそ何もかも!)が読めないことにものすごーーーくストレスを感じたものですが、英語とスペイン語しかできない人がいきなり日本か中国に住むことになったら、その人の苦労と不安は、ワタシが渡仏当時感じていたそれの何倍も何十倍も深く広く暗いものに違いありません。
そんな意味で、フランスがどうのこうのという以上に、精神的安全圏外に住むということや、「住みやすい場所」というのは一体どういう場所なのかということ(*1)、さらには住みやすさは何が大事で何が当たり前かによって違ってくるけれど、「当たり前」って一体何なのか(*2)なんてことを、色々考えた一年でありました。
もうひとつ。長い間アメリカに住んでいて、以前から常々、日本から旅行でアメリカに遊びに来ている日本の人よりも、アメリカに移住して地元に馴染んでいるドイツの人(またはスウェーデンの人だったり、あるいは中国の人だったり)の方が、自分と共通点が多いことは実感していました。今親しくしているお友達も、英語が共通言語である非フランスの方がほとんどです。これは現在ワタシの毎日のスケジュール・交友サークルがムスコの学校中心に回っていることが主な原因でもあるのですが、このことから始まって、異邦人コミュニティーという存在をとても意識した一年でもありました。
生まれた国を離れ、もともとは異国であった地を「今の家」として人生の基点にしている人たちには、言わなくても通じる理解が生まれます。そしてこの理解は相互サポートの精神にそのまままっすぐ繋がっているのですが、助け合おうという気持ちに、生まれた国が同じかどうかは全く関係ありません。この流れで、インターネットを通して、世界のほかの場所に存在する異邦人コミュニティーと繋がりをもてるようになったことも、今年得た一番大きなものの一つだと思っています。
生まれた国を離れ、もともとは異国であった地を「今の家」として人生の基点にしている人たちには、言わなくても通じる理解が生まれます。そしてこの理解は相互サポートの精神にそのまままっすぐ繋がっているのですが、助け合おうという気持ちに、生まれた国が同じかどうかは全く関係ありません。この流れで、インターネットを通して、世界のほかの場所に存在する異邦人コミュニティーと繋がりをもてるようになったことも、今年得た一番大きなものの一つだと思っています。
今年の終わり(もう明日!)で渡仏一年半、赴任期間三年の折り返し地点。
来年はどんな冒険が待っているでしょうか。フランスにいて、ヨーロッパにいて、観光したりおいしいもの食べたり。もちろんそういう具体的なことも楽しんでおきたいとは思いますが、時間切れになる前にもっとレベルを上げて、自分の中身を充実させて勉強になる分野にも挑戦していきたいなと思います。思うだけじゃだめなんだけどね。頑張れよ←自分。あ、それから食中毒は避けたい←超真剣。
皆様、2010年もこんなワタシとわが家族にお付き合いいただいて、本当にありがとうございました。2011年も皆様にとって、実り多く、そしてなにより平和な一年でありますように。
どうかよいお年をお迎え下さい。
(*1)これは夕食の会話のネタになることも多く、オットとも何度となく話してきました。これまでの討論の結果を言うと…「住みやすい場所。そんな場所、ない。」これです。どこに行っても、文句を言おうを思ったら文句の種は見つかるもんです。実際ワタシも引っ越すたびにあれやこれやぶつぶつ言ってきました(深ーーーく反省)。逆に、結婚してから今まで住んだ場所(米国内三ヶ所+フランス)のいいところを指折り数えてみると、沢山あるある。
住みやすい場所というのは、青い鳥なのかもしれません。探してもないということは、つまり逆に言うと、今いる場所が住みよい場所なのかもしれない、もっと正確に言うと、今いる場所を住みよい場所に「変える」ことができる、そういうことだと思います。
つい先日Twitterで読んだつぶやきに、「沖に出て、行きたくない方向に流されそうになったら、風の向きを変えようとするな。帆の向きを変えよ」というのがありました。環境は変えられないけれど、自分の態度は変えられますね。そう考えたら、めげそうなことがあっても少し前向きに対処していけるような気がします。
(*2)当たり前=常識。これも、フランスに来てから吹っ飛んだもののひとつです。郷に入れば郷に従えと言いますが、郷の数だけ常識のセットも存在するのです。フランスに来てから「常識はずれ」のことをして恥ずかしい思いもしたし、また、自分は今までなんて狭いレンズで世界を見ていたのだろうと愕然としたこともあります。でもこればかりは、外に出てみないと分からないことなんですよね。恥ずかしい経験も、みじめな思いも、受け入れる容量の大きい人間になるためのえさになってくれれば、無駄ではなかったことになります。
Bonne et Heureuse Année!