30 December 2010

駆け足の2010年


1月。雪、雪、雪。


2月。もっと雪。


3月。忙しかったのか(←記憶にない)、ひと月の間に二回しかカメラ持って外出していない。


4月。南仏。


5月。生活が落ち着いたので積極的に近場に出かけていた(ようだ)←これも記憶にない。これはアヌシー。


6月。学校を二日さぼらせてロンドンへ。


7月。革命記念日のパレード。


8月。オットとパリへ三日間脱走。


9月。ボージョレーでワインを買い込む。


10月。義母が来たのでリヨン市内をあちこちご案内申し上げる。



11月。ミラノで食中毒にあう。


12月。いきなりどっさり降って積もる。



…とまあ、雪に始まって雪に終わった一年でした。実際はここんとこ結構暖かくて雪なんか影も形も全くないんですが。

食中毒とかなり重度だった春の花粉アレルギーとひんぱんなウィルス感染を除くと、健康に過ごせた一年でした。いや、嫌味じゃなくて、大きな病気はしなかったという意味です。ホント。

言葉が不自由な異国で一番何が心細いかって、やっぱり病気や怪我だと思います。痛みや症状をドクターに詳しく解り易く説明するのって、母国語でも決して簡単なことではありません。当方は仏語が流暢ではないし、ましてや病状・病歴の込み入った話になるとドクターに英語を理解してもらうことを期待するしかないのですが、今までかかったドクター達は全員英語は「外国語」、つまりバイリンガルではない方々。英語が話せるのが売り物の歯医者に行ったらドクターの英語よりムスコの仏語の方がレベルが上だったし、ムスコが花粉症で苦しんでいたときに診てもらったドクターはかなり英語が達者な方だったにもかかわらず、三回診察してもらって三度目に初めて「え?そうだったの?」なんてこともありました。この同じドクターにワタシもかかっているのですが、病歴を追っていて以前アメリカで受けた手術の事を言ったら、その手術を意味する英単語をご存知なかったりとか。

英語が通じるだけでもとてもありがたいとは思います。ただ、ドクターや病院スタッフとの意思疎通で治療の展開や結果に大きく影響が出る大病や大事故での怪我なんかは、フランスにいる間は絶対経験したくないな~といつも思うのです。

我々の場合は英語圏から仏語圏への移動だったのでアルファベットも同じ、単語も似たような綴りが多いので(まあそれが節穴だったりもするのですが)、苦労と不安のレベルは比較的低い方だと思います。フランスに来てすぐ、街で見かける表示(店の看板、メニュー、道路標示…それこそ何もかも!)が読めないことにものすごーーーくストレスを感じたものですが、英語とスペイン語しかできない人がいきなり日本か中国に住むことになったら、その人の苦労と不安は、ワタシが渡仏当時感じていたそれの何倍も何十倍も深く広く暗いものに違いありません。

そんな意味で、フランスがどうのこうのという以上に、精神的安全圏外に住むということや、「住みやすい場所」というのは一体どういう場所なのかということ(*1さらには住みやすさは何が大事で何が当たり前かによって違ってくるけれど、「当たり前」って一体何なのか(*2)なんてことを、色々考えた一年でありました。

もうひとつ。長い間アメリカに住んでいて、以前から常々、日本から旅行でアメリカに遊びに来ている日本の人よりも、アメリカに移住して地元に馴染んでいるドイツの人(またはスウェーデンの人だったり、あるいは中国の人だったり)の方が、自分と共通点が多いことは実感していました。今親しくしているお友達も、英語が共通言語である非フランスの方がほとんどです。これは現在ワタシの毎日のスケジュール・交友サークルがムスコの学校中心に回っていることが主な原因でもあるのですが、このことから始まって、異邦人コミュニティーという存在をとても意識した一年でもありました。

生まれた国を離れ、もともとは異国であった地を「今の家」として人生の基点にしている人たちには、言わなくても通じる理解が生まれます。そしてこの理解は相互サポートの精神にそのまままっすぐ繋がっているのですが、助け合おうという気持ちに、生まれた国が同じかどうかは全く関係ありません。この流れで、インターネットを通して、世界のほかの場所に存在する異邦人コミュニティーと繋がりをもてるようになったことも、今年得た一番大きなものの一つだと思っています。


今年の終わり(もう明日!)で渡仏一年半、赴任期間三年の折り返し地点。

来年はどんな冒険が待っているでしょうか。フランスにいて、ヨーロッパにいて、観光したりおいしいもの食べたり。もちろんそういう具体的なことも楽しんでおきたいとは思いますが、時間切れになる前にもっとレベルを上げて、自分の中身を充実させて勉強になる分野にも挑戦していきたいなと思います。思うだけじゃだめなんだけどね。頑張れよ←自分。あ、それから食中毒は避けたい←超真剣。

皆様、2010年もこんなワタシとわが家族にお付き合いいただいて、本当にありがとうございました。2011年も皆様にとって、実り多く、そしてなにより平和な一年でありますように。

どうかよいお年をお迎え下さい。



(*1)これは夕食の会話のネタになることも多く、オットとも何度となく話してきました。これまでの討論の結果を言うと…「住みやすい場所。そんな場所、ない。」これです。どこに行っても、文句を言おうを思ったら文句の種は見つかるもんです。実際ワタシも引っ越すたびにあれやこれやぶつぶつ言ってきました(深ーーーく反省)。逆に、結婚してから今まで住んだ場所(米国内三ヶ所+フランス)のいいところを指折り数えてみると、沢山あるある。

住みやすい場所というのは、青い鳥なのかもしれません。探してもないということは、つまり逆に言うと、今いる場所が住みよい場所なのかもしれない、もっと正確に言うと、今いる場所を住みよい場所に「変える」ことができる、そういうことだと思います。

つい先日Twitterで読んだつぶやきに、「沖に出て、行きたくない方向に流されそうになったら、風の向きを変えようとするな。帆の向きを変えよ」というのがありました。環境は変えられないけれど、自分の態度は変えられますね。そう考えたら、めげそうなことがあっても少し前向きに対処していけるような気がします。

(*2)当たり前=常識。これも、フランスに来てから吹っ飛んだもののひとつです。郷に入れば郷に従えと言いますが、郷の数だけ常識のセットも存在するのです。フランスに来てから「常識はずれ」のことをして恥ずかしい思いもしたし、また、自分は今までなんて狭いレンズで世界を見ていたのだろうと愕然としたこともあります。でもこればかりは、外に出てみないと分からないことなんですよね。恥ずかしい経験も、みじめな思いも、受け入れる容量の大きい人間になるためのえさになってくれれば、無駄ではなかったことになります。


Bonne et Heureuse Année!




27 December 2010

大掃除




年末の大掃除。うちは、アメリカの家庭なので…と言い訳して逃げる。アメリカでは、大掃除は春にするものなので。暖かくなってからパッと窓を開け放して、溜まった埃を逃がして新しい空気を入れて…という思考らしい。

とはいうものの、春になると、うちは日本の家庭なので…と言ってまた逃げる。今は、ここはフランスだから…と言って逃げるという手もある。日頃ちゃんと掃除してれば、大掃除なんて必要ないんだよねえ…。


***************


タンタンの缶が欲しくて買ったクッキー。大きさが裁縫箱にぴったりと思って。カラになったので今までタッパウェアに入れていた針・糸・ボタン等々を移動したら、本当にきっちりぴったしの大きさだった。こういうのって、うれしい。


タンタンって、日本では少年だと思われている(と思うのだ)けれど、コミックで見る限りもうちょっと歳が上。多分16歳くらいだよな~と思っていたら、ほ~らやっぱりそうだった。16歳って、もう少年じゃないよねえ。


図書館で借りたコミックを、ムスコと一緒に楽しんでいる昨今。



22 December 2010

クリスマスに思う




先日、ムスコがとうとうサンタクロースに関する真実を知ったようだ…と書いたが、どうやら彼はまだ完全に敷居を越えてしまったのではないことが分った。

どう考えてもおかしい、一晩でどうやって世界中回ってプレゼント配達するんだ…と、頭の周りに疑惑の雲はぐるぐると渦巻いているのだが、物理的に無理、よってサンタさんは存在しない、という確固たる結論にはまだ達していないようなのだ。

先日の発言も後から思い返すと、「おとーさんとおかーさんがサンタさんだったんだ」ではなくて、「おとーさんかおかーさんがプレゼントくれてたのかもしれないしね」的ニュアンスであった。きのうもまた「サンタさんを捨てきれてません」スタンス表示の発言があったし…。母はなんだかほっとしたような、でも一旦「そうか、とうとう」と思ってしまったのでなんだか力が抜けちゃったような。


ムスコ三年生、もうすぐ九歳のクリスマス。



去年は訳あってクリスマスを一緒に過ごせなかったので、今年は三人一緒にいられるだけで限りなくうれしい。友人知人はほとんど旅行で留守、ディナーに呼ばれているわけでもなし、お客様を呼ぶ予定もなし。イブの晩の礼拝には出かけるが、プレゼントもオットと相談してムスコの分だけ用意して(…と言いつつも、オットには一応ちょびっとだけ用意した。スキー用靴下二足セット。それだけ。←きっぱり)、留守中の隣人のペットの世話をしながらの、地味~なゆる~いクリスマス休暇。


こうやって三人だけで時間を紡げることが、一番のプレゼントだと思う。


***********************************



米国・欧州ともにあちこちで空港閉鎖、飛行機・電車のキャンセルが続いています。どうか皆様、帰省のトラブルでストレスを溜めたりなさいませんよう、無理なさらず、お体を大切に、暖かいクリスマスをお過ごし下さい。

Joyeux Noël! (←音出ます。歌詞はこちら)  

18 December 2010

冬休み突入




金曜日が今学期最後の登校日のはずだったが、大雪の予報が出されたので大事をとって、授業がキャンセルされることになった。冬休みが一日早く始まることになって、子供達は大喜び。母のワタシも、寝坊はできるしお弁当作らなくてもいいので、実はちょっと喜んだのであった。

しかしそれほど手放しで喜べなかったのが通知表…。詳しくは語るまい。来学期はもうちょっと「おしゃべりを減らして」「先生の言うことにちゃんと耳を傾けて」「集中して」(以上すべて先生方のお言葉。おっしゃる通りでございます、と授業風景を見たこともないのにはっきりと目に浮かぶ様子に赤面しながらうなずいてしまう母)授業を受けて欲しいと思うのであった。


冬休みの間、お友達は一人残らず旅行に出かけてしまうので、ムスコには遊び相手がひとりもいない。オットは結局休みを取らないことにしたそうで(他の人はみんな旅行で出かけてしまうので、じゃあ僕がオフィスで留守番しますと名乗りでたらしい。お人よしというかなんというか)、ということは、二週間半、ムスコの相手をするのは…。

写真は12月8日の光の祭典の際に用意したキャンドルの群れ。ヨーグルトの瓶、全部で118個。これでも窓際を全部カバーできなかったので、来年までにあと20個くらい足さないといけないかな。

13 December 2010

いらっしゃいませ と おかえりなさい



うちの玄関、クリスマス仕様2010年バージョン。 

10 December 2010

クリスマスカード

 

 


会いたいのに、会えない人達。海の向こうとか、天国とか。

クリスマスのお祈りが、届きますように。

08 December 2010

はっ



 
 …と今、気づいた。

来週の金曜日で一学期は終わりである。ムスコの冬休みが始まってしまうではないか。

オットはオットで24日から大晦日までの一週間休みを取る予定らしいが(ホントにそんなに取れるのか?)、出張や親戚の不幸であちこち飛び回っていて疲れているらしく、休みの間は家でごろごろしていたいと言う。前回の家族旅行は楽しいもんじゃなかったしね。そんなわけで、クリスマス・新年はどこへも出かける予定なし。


ま、いいんですが。うちの男性陣がふたりとも一週間ずっと家に居たら、片付けても片付けても…という状態になること間違いなし。しかも、うちにいるとなると、おかーさんは食料の買出しとかご飯の支度とか食後の片付けとか、いつも通りのお仕事があるのだ。


そうか、おかーさんに冬休みはないのか…。よし、今のうちにさぼれることさぼっておこうっと。←ちょっと違う…。

06 December 2010

サンタクロースはいるのです

  

 

人類初の有人月周回ミッションを行ったアポロ8号。ミッション四日目、月の裏側に行って地球との交信が中断した後、ジム・ラヴェル飛行士はヒューストン司令室との交信再開に成功する。時は1968年、12月24日… つまりクリスマスイブ。

その際の、司令室とラヴェル飛行士との会話。


ヒューストン: アポロ8号、こちらヒューストン。
(応答がない)
ヒューストン: アポロ8号、こちらヒューストン。
(応答がない)
ヒューストン: アポロ8号、こちらヒューストン。
(応答がない)
ヒューストン: アポロ8号、こちらヒューストン。
(応答がない)


四度の問いかけに応答がなく、恐らく緊張で空気が張り詰めていたのではないか。司令室は再度問いかける。

ヒューストン: アポロ8号、こちらヒューストン。

と、

ラヴェル飛行士: ヒューストン、こちらアポロ8号。

この声を耳にした関係者全員、安堵のため息をついたに違いない。その様子が目に見えるようである。


ヒューストン: アポロ8号、はっきりとよく聞こえます。

アポロ8号側にとっても、大きな安堵の瞬間だっただろう。そんな背景を踏まえていると理解できる、ラヴェル飛行士の司令室への返事は…


ラヴェル飛行士: 了解。連絡事項です。サンタクロースは存在します。
 
そしてその返事に司令室からは、

ヒューストン: 了解。そちらが一番信頼できる筋ですから。



な~んて、日本語に「訳して」しまうと固くなっちゃって、気の利いた会話も全然おしゃれじゃないわ。ま、落語を英語に訳せないのと一緒なんですが、でもこういうシリアスな場面でこういうジョークって、日本だったら絶対ありえないと思います。


今年はとうとうムスコが「サンタクロースっていないんだよね。ダディとマミィがサンタだったんだ」と発言。サンタが存在しないということに気付いたムスコよりも、自分の子供がとうとうそんな年齢になってしまったと知らされた母親の方に、ショックが大きいようである。


それでも母は用意する。サンタさんからのプレゼントを。


注意事項:

サンタクロースからのプレゼントは、クリスマス(つまり25日)の朝、目が覚めたら届いているというのが普通です。ということは、プレゼント配達中のサンタを目撃するとすれば、イブ(=24日)の夜しかありえません。月の裏側から、地球の自転スピードと戦いながらプレゼント配達に急ぐサンタクロースの姿が、ちらっと見えたに違いないと、ワタクシは信じます。

アポロ8号ミッション、実際の会話の記録はこちら。サンタクロースに関する会話は結構下の方になりますが、089:31:12からお読み下さい。

そしてもちろん元々のその元々の気の利いたお話は、こちらこちらをどうぞ。



03 December 2010

冬は寒い




今住んでいる建物は19世紀築のものである。我々の部屋はごくごく最近改築されていてモダンな部分もあるが、「骨」は古い建物。暖房のシステムも「骨」の一部なので、お湯を使う古いタイプのセントラルヒーティング(湯沸かし器だけはモダンなもの)。家中にお湯の管がめぐらされていて、お湯の通っているラジエーターから発散される熱で部屋を暖かくする。
 
温度のコントロールは、湯沸かし器のお湯温度設定と、各部屋にあるラジエーターのノブで調節する(開ければ暖かい、閉めれば寒い)。

日本で部屋に設置されているエアコンや、アメリカで建物についているセントラル・エアコンは、希望温度を設定すれば機械が勝手に現状の部屋の温度を感知して、温度を上げるなり下げるなりしてくれる。

うちの暖房はそうじゃなくて、設定するのは流れてくるお湯の温度と各部屋のラジエーターで放たれる熱の量のみ。つまり、外が寒いとき(=家の中も冷えるとき)は、設定をそのままにしておくと部屋の温度も下がるのだ。窓大きいしね、明るくてよいのだけれど、熱気ロスもその分大きい。

だから、気温が下がる(または上がる)度に、湯沸かし器のお湯の温度を上げる(下げる)なり、各部屋歩き回ってラジエーターのノブをいじくるなりして、室内の温度調節をしなくちゃいけない。
 


これをちょっと面倒に感じるのは、やっぱりアメリカの超便利生活(ずぼら生活ともいう)に慣れてしまった人間の我儘だろうか。アメリカに住んでいると、自然からとても切り離された生活を送ってしまうことが可能である。セントラル・エアコンで、外が真夏日だろうが氷点下だろうが家の中はどの部屋もいつも快適。車庫は家にくっついていて、しかもガレージのドアは車の中からボタンひとつでオート開閉。土砂降りでも、家の中まで全く濡れずに入ることができる。

フランスでの今の生活とは、かなりの差がある。うちの暖房は特に効率が悪いらしく、温度設定を結構高くしていても、家の中が冷える。特に足元がすごく寒いので、足首の隠れる部屋履きは必須。中は靴下二枚履き。上半身は最低三枚重ね。PCのある部屋は特に冷えるので、ブログ書くときや写真を取り込むときは、フリースのジャケットを羽織ったりもする。長時間いると手もかじかむので(!)、指なし手袋はめてキーボードに向かうこともある。←冗談ではありません。

なんで自分の家の中でこんなに寒い思いするかなあ~…ぶちぶち。と言いたくなることがある。でも、でも。冬は寒い、夏は暑い。もともとはそれが当たり前なんだよねえ。


寒いときにしかできないこと、寒いからこそ楽しいことをしよう。

あ、でもこたつがあったらなあ…と、買ってきたみかんの山を見ながら思ったりはするのであった。

01 December 2010

十二月に入ったら





扉を開ける月。No.25まで全て、中身がすでに待機中。






リヨンは昨日の午後から降り始めた雪がどっさり積もって、一晩でウィンター・ワンダーランドと化した。

 




今日は走ってないバス路線が多く、ムスコの学校は休校。今夜も降り続くらしいので、明日も多分休校だな。オットは「市外に住んでる人は多分みんな来ないから」と、ジーンズで出勤した。






外で遊び疲れて体も冷えたし、あたたかいココアでも作ろう。


 

30 November 2010

今年追加のオーナメント




ハリー・ポッターにはまっているムスコに(というのを言い訳に)、新しく買ったフクロウのオーナメント。案の定ムスコよりワタシの方が気に入って、毎日手にとって眺めている。

フクロウの「ホーホー」は、英語だとhoo hoo、仏語だとhou houと書かれる。どちらも音は「フ~フ~」。ほほ~



28 November 2010

今年もMarché de Noël




Place Carnotのクリスマス市でひとめぼれした、ポルトガルのお皿。結構なお値段だったので少し悩んだが、一緒にいた友人が「買っちゃいなさいよ~。一年頑張ったご褒美に」と煽るので買ってしまった(と、人のせいにする)。ケーキ皿だと思うが、おかずを盛るのに使っちゃおう。

ここのブースの陶器にはどれもため息がでるような美しい絵付けがされていて、友人もワタシも目がすっかりハート型になっていた。トールペインティング風の絵のものも何点かあった。こういうきれい系のものはガラじゃないのは分っているが、一点ものだし、こういう市場で見ると欲しくなっちゃうんだよねえ。

他にもサラダボウルとかピッチャーとか、「あんなのあったらいいなあ~」と思うものは何点かあったのだけど、とりあえず今日は我慢。どうせもう一点買うんだったら同じ型のお皿で柄違いっていうのもいいなあ。いや、別に買わなくてもいいんだけどね、うん。


実はこのクリスマス市場、昨日もムスコとふたりで出かけていて、帽子をひとつ買ったのだった。寒くなったので何週間か前に買ってあった毛糸の帽子を被って出かけたら、おでこがかゆいかゆい。しかも、深みが足りなくて耳が寒さでちぎれそうになった。おされなブティックで30€も出して買ったのに、全くの無駄金だったぞ。昨日買ったのはくしゃっと潰して被る形のキャスケットで、深みは充分。つばがあるので雪の日に被っていれば眼鏡に雪がかからない。フリース素材で軽く、洗濯機でじゃぶじゃぶ洗ってOK。今日被って出かけたらとても暖かかった。おなじ30€でも全然仕事ぶりが違う。

お酒が飲めない友人はホットチョコレート、ワタシは二日続けてホットワインを飲んで(そうなの、昨日も飲んだのよ。悪い?←けんか腰)暖を取りながら歩き回って買い物し、帰宅したら三時間経ってました。女友達と買い物に行くのって、どうしてこんなに楽しいのでしょう。


どうでもいいけど、クリスマス市に関する公式ウェブサイトの今年バージョンがないのは何故?検索すると当たるのは去年のを始め古いのばかりなんですが?



→去年のクリスマス市の記事はこちら




25 November 2010

待ちわびる




ムスコの学校の保護者会の主催で、アドベント・リースを作る機会があった。(アドベントに関しては二年前のこの記事をどうぞ。)







アドベント・リースは玄関や壁にかけるリースと違い、四本のキャンドルがのっていてテーブルに飾るもの。アドベント初日の日曜日に、一本目に火を灯す。次の日曜日まで、毎日灯すのはこの一本のみ。二週目の日曜日は、一本目と二本目に火を灯す。三週目には三本、四週目の日曜日には四本全部に火を灯す。キャンドル一本一本に意味があって、最初のは「預言者のキャンドル」、二本目は「ベツレヘムのキャンドル」、三本目は「羊飼いのキャンドル」、四本目が「天使のキャンドル」と呼ばれている。本来は最初の三本が紫色で、天使のキャンドルのみピンクらしい。さらに言うと、火を灯すのはキリストが光であることの象徴、リースの丸い形は神の永遠と統一、土台の緑は命の永続を象徴しているそうな。詳しくはこちら



今回のワークショップでうれしかったのが、色んな種類の生(=本物)の葉っぱを使って作れたこと。すんごくいい香りがするのだ。小さい束をいくつも順番に重ねながら針金で固定していって、土台作りができたらひいらぎの実や松ぼっくりなどの装飾をつけ、最後にキャンドルに針金を通して固定する。

先生は、毎年この時期に作り方を教えているというドイツの人。参加者の半数はドイツの方々で、英語に混じって飛び交うドイツ語に大喜びで耳を傾けるワタシ。もちろん(←いばるな)全く解らないんですけどね、なんだかクリスマスっぽい感じがするじゃないですか。だってほら、フランスのクリスマスマーケットも、有名なものはみんなドイツ国境近くのものでしょう。こういうクリスマス関係の伝統は、フランスよりもドイツの方に根強く伝わっているような感じがしませんか?←勝手にドイツに対して抱いているイメージ。

で、このリース、作るのに二時間半かかりました。土台の緑の部分にボリュームがないと貧弱なので、少~しずつずらしながら、とにかく沢山重ねる重ねる。これに時間がかかるのですね。結構長いワークショップだったので、欲を言うとクリスマス音楽が流れていておまけにホットワインでもあれば言うことなかったなあと思うのだけれど、まあ午前中の話だったし、ワインは無理というものでしょうかね。


帰宅して写真を撮る際に火を点けたくてたまらなかったのですが、こういう伝統は子供と一緒にやるから意味深いのだし、第一まだ三日早いのでぐっと我慢いたしました。


日曜日が楽しみ。


20 November 2010

一足早く




フランスに感謝祭はないが、明日日曜日、いつもの教会で持ち寄りの集まりがある。アメリカより一足早めの感謝祭。また六十人ほど集まるらしい。沢山の人と食卓を囲んで感謝の祈りを捧げられることに、これまた感謝の気持ちで一杯である。


そしてそれよりさらに一足早く、家の中のクリスマスの飾りを始めてしまった。だってホームシックで待てなかったんだも~ん。オーナメントも買い足したのでツリーを飾っちゃいたいところだが、生のツリーはまだ売られてない。にせものツリーは既に売られているが、アメリカに置いてきたのがあるので買う気にならない。待つしかないな。

19 November 2010

燃え尽きた命



 
夕方暗くなるのが随分早くなって、キャンドルとマッチの消費量が急激に増えている。

マッチの燃えかすって美しいなあ~とほれぼれ見とれるのは、ワタシだけかしらん。

07 November 2010

ミラノ、写真がない件 またの名を欧州食中毒物語

 



(前回までのあらすじ…違う。なぜ写真がないのかという話の続き。)

実は男性陣がふたりとも食中毒にかかり、ホテルの部屋に引きこもっていたのである。ホテルまで医者に来てもらい、オットは一時は入院させるか?と心配するほどひどい状態であった。

ワタシには当たらなかったことだけが不幸中の幸いで、部屋とコンシェルジェのデスクを何度も往復、苦しそうに話すオットの英語をドクターが理解できなかったのでその「通訳」、薬局に薬を買いに走る、等々で役に立てたのがうれしかった。


というのも、今まで食中毒はワタシの担当だったのである。信じられない話なのだが、ワタシ、フランスに来てからすでに二回、いかにも教科書的な症状の食中毒になっている。その他にも、「これは多分あれに当たったな」と思うことは結構頻繁で、そのうち起きてはいられるが外出できないというまあまあ重度のもの数回。

日本とアメリカでは「う~んちょっとあれが合わなかったかな」と思うことはあっても、食中毒というのは覚えがない。フランスにはまだ一年半住んでいないのに、当たりまくりなのだ。


これはただ単にワタシの運が悪い(つまり他の人には当たらないのにワタシだけ当たる)のか、あるいはみんな当たってるけど話に聞かないだけなのか…とずっと不思議に思っていたのだが、どうやら百パーセント前者だけではなさそうだということも判ってきた。「食中毒になってね…」と話し出すと、「実は私も」とか「そういえば先日私の友人が」とか、掘って引っ張れば結構いくらでも出てくる感じで、なんだかおフランス美食ライフの知られざる裏面が見えてきたような気がする。

フランス人ではない知人は、「フランスの人って、おいしいものを食べて楽しむためにある程度のリスクは覚悟するみたいだよ」と言う。たまには当たることだってあるわよね、確率の問題だしね…みたいな認識なんだろうか。う~ん。レモン汁絞った生牡蠣は確かに天国の味がしたけれど、あの苦しみは地獄だったので、ワタシは牡蠣を生では二度と食したくないと思う。


余談: オットはこの件で三キロやせたと喜んでおりました。そういう問題じゃないと思うんですが。かくいうワタシもフランスに来てから四キロやせました。外食しなくなったし、沢山歩くしね。でもこれ以上やせたらジーンズのサイズがありません。

02 November 2010

せっかく




車で五時間もかけて行ったのに、まともな写真が一枚もありません。その理由は…

次回に続く。(腕が悪いって言うのは別よ。)


25 October 2010




我々の寝室の窓にはカーテンがない。

外に電動シャッターがついているのでプライバシーに問題はないのだが、窓周りが実に無愛想。特にシャッターを閉めた時の感じが殺風景な事務所か病院の部屋みたいで、ああ、こんな部屋で時間を過ごしたくない…と思ってしまう。

それなのになんでさっさとカーテンをつるさないのかと言うと、不規則な窓周りと天井の形のせいで、カーテンポールを装着できないのである。

このことについて昨日またぶつくさ言っていたら、オットが「気持ちは分るけど…赴任期間もうほぼ半分過ぎたんだし、我慢できないの?」


…えっ゛?!?!?!


ホントだぁ、もう一年四ヶ月…。

早い、早すぎる。


そんなわけで、我々がリヨンにいる間にぜひフランスへ…とお考えの皆さま、ご予定は早めに立てて早めにご連絡下さいまし。ちなみに来年の夏はフランスにはいない予定です。

18 October 2010

さぶい…




先週半ばまでは25℃を越すよいお天気だったのに、金曜日あたりから秋を通り越していきなり冬になってしまった。今日なんか予想最高気温がたったの9℃。風があるので体感温度はもっと低い。

おととい、フード付パーカを着て黒い指なし手袋をはめ、ブーツを履いて外に出た。そろそろおしゃれより防寒の方が大事になってきたので仕方ないとは思うが、ウィンドウに写った自分の姿をみて思わず足を止めてしまった。どこからどうみても寺内貫太郎一家の樹木希林さんだったのである。

今日の写真は去年の11月13日午前8時37分に撮ったもの(デジタルカメラって素晴らしい。ついでに3G機能を使って撮った場所の緯度・経度も記録してくれないものか)。 ムスコとワタシ、朝は7時40分に家を出るのだが外はまだ薄暗い。もっと寒くなったら学校に着く頃にやっと陽が昇るわけである。SADの季節だなあ…。

11 October 2010

文字




インターネットで何か検索する際、できれば日本語と英語の両方をチェックすることにしている。ウィキペディアだとこれが実に簡単にできるわけだが、ついでに時間があれば、他の言葉のエントリーもチェックする。

例えば、ハロウィンこれを自分には全く分からない言葉のバージョンであれやこれやチェックするのが、好きなのである。文字さえ未知のものはもっと興味深い。世界って広いなあ、色んな言葉があるんだなあと思う。こんなのが読めて理解できたら自分の世界が広がるどころか、自分の世界がふたつみっつ増えるに違いないと思う。

仏語ができずにフランスに住んでいてまあそれなりに色々苦労はあるのだが、言葉に関しては、アルファベットが読めるだけまだましなのである。単語だって、英仏だと、例えば英独よりは似ているものが多いしね。


今日の写真は、中国語のアヴェ・マリアフルヴィエール・ノートルダム大聖堂の階段に、色んな国の言葉で書かれたアヴェ・マリアが掲げられているのだ。


神の恵みに言葉の壁はない。

Je vous salue, Marie pleine de grâce ;
le Seigneur est avec vous.
Vous êtes bénie entre toutes les femmes
Et Jésus, le fruit de vos entrailles, est béni.
Sainte Marie, Mère de Dieu,
priez pour nous pauvres pécheurs,
maintenant et à l'heure de notre mort.

Amen.

07 October 2010

そんな舌の根も乾かぬうちに





困ってますと書いたばっかしですが。

今日少し時間があったので辛抱強く検索してみたら、ひとつみつかりました、PCから写真アップする方法が。


以下、Bloggerユーザーでこの方法にお気付きでない方のために。

記事編集画面のトップにいくつかタブがありますが、左から三番目のSetting、ここの画面下のGlobal SettingのところでSelect Post EditorをOld Editorにすると、編集画面が2009年以前の画面に戻ります。編集機能が少し古くなりますが、基本的な役割は同じです。ここから、以前の方法で写真ファイルがアップロードできます。

あんまりめでたくはないけれど、とりあえずは安心というところでしょうかね。

困った…




まあそれほど困ってるわけでもないんですが、不自由と言えば不自由。

現在ここのブログサイトで、PCから写真ファイルのアップロードができません。かといって他にアップする手段があるのかというと(例えば写真シェアサイトに一旦アップしてからそこにリンクするとか)、オプションに実に制限がある。

Blogger側もトラブルは認識しているのですが、どうやら一部のユーザーにしか影響が出ていないらしいのね。実際他の人はどんどん更新してるし。そのせいか、不都合を直さなきゃという緊急意識(そんな言葉あるのか?)が欠けているようで、もう二週間もずっとこのまま。はやくなんとかしてくれ~。

二週間目に突入してちょっとイライラしてるんですが、かと言っていくらなんでもまた引っ越すのはいやだしねえ。

そんなわけでちょびっと困ってます。

23 September 2010

ばっちいと思うからばっちいのです




衛生観念というのは文化によって違うし、慣れの部分も大きい。

例えばフランスのパン屋さん。バゲットをつかむ指もレジの小銭を扱う指も同じである。ビニールの手袋なんてそんな気の利いたものはない。それを言い始めたら、朝市のお店の人もみんな野菜をつかむ手とお金を扱う手が同じである。野菜はまだ洗えるだけましかという気はするが。

…だめだめ気にしちゃ。


フランスの公衆トイレに便座がないことが多いのは前にも書いた。この記事を書いたとき触れなかったもうひとつのおフランス公衆トイレ驚愕の事実、それは…手を洗う場所がないことが結構多いということ。洗面台はあるが水が出ないなんてことはしょっちゅうだし、洗面台からしてついてないこともある。ちょっと信じられないことだがホントである。実はムスコの新しい学校でも、保護者が使えるトイレにある洗面台の蛇口が壊れていて使えない。このトイレの位置からして、事務室の人や校長先生が使うトイレはここだと思うし、壊れてから結構時間が経っているように見えるのだが、直す人がいないのだろうか。でも便座はあるんだよ。すごいでしょうはっはっはどうだ(←やけになっている)。

児童が使うトイレには、ちゃんと使用可能な洗面台があることを祈るばかりである。




21 September 2010

時間が…




この秋からムスコが通うようになった学校には通学バスがない。送り迎えはおかーさんの仕事。今のところ運転手役を分担できる人がいないので、毎日朝夕二往復。これに費やす時間、一日三時間少々。

今度の学校は水曜日に半ドンの授業がある代わり、他の曜日の終業時間が早い。迎えに行く出発時間もその分早いわけで、車で行こうとする限り、一旦うちまで戻らないといけないので昼過ぎにあちこちゆっくりできなくなった。公共交通機関を使えば、中心街に買い物に行ってその足でお迎えに…ってことも可能なのだが、そうすると帰宅するのに車より余分に時間がかかる。どっちもどっちなんである。

水曜日なんかお昼にお迎えだから、朝送っていって帰宅して家の中片付けてスーパーに買い物行って戻ったらもう迎えに行く時間。あわただしいことこの上ない。






しかし悪いことばかりではもちろんない。学校の近くに車でしゅっと行ける朝市を二つみつけた。水曜日と金曜日。しかも水曜日の方の市場には、いつもうちの近くの市場にも出ているパスタのお店が出ているし。ここはパスタソースも実においしいのです。もうスーパーでパスタソース買えません。







今朝は絶対野菜を買わなくちゃいけなかったので、一旦車を停めてメトロに乗ってクロワ・ルスの市場まで行った。わざわざメトロで…と最初は罪悪感があったのだけれど、他にも市場かご持ってメトロに乗ってる人はいるし、火曜日のクロワ・ルスの市場は青果以外のお店もどどっと出ていてとても楽しいのだ。

今日は買い物しすぎて荷物の収集がつかなくなって(重たいかぼちゃとか買っちゃったし。飾るだけのために…)、またひとつかごを買う羽目になってしまった。…というのはなかったことにして下さい。

13 September 2010

ある土曜日






旧市街・サンジャン教会前の広場で陶器市があったので、お友達を誘っていそいそと出かけた。カメラを持参しなかったので会場の写真はなし ←買物にエネルギーを集中したかったので。重いしね。






ずっと前から欲しいと思っていたお茶碗型のお湯呑みを三つ買うことができて、うれしくて仕方ない。もちろんお湯呑みとして売られていたわけではないと思うが、そんなもんは買った方が好きな様に使っていいのである。上の二点はMontauban-sur-l'Ouvèzeという南仏の村にあるアトリエのもの。どちらも気に入ってしまってひとつに決められなかったので、両方買うことにした。こういう器は日本国外ではなかなか手に入らないし…一点ものだし…←言い訳。

この他にもお湯呑みをもうひとつと小さなお皿を二枚買ったのだけれど、どれも南仏のそんなに離れていない地域で作られたものだった。あの辺は陶器・磁器で有名なのでしょうか?土がいいとか?
 

この日はソーヌ河を渡ってから会場に着くまでに、新しいハチミツ屋さんを発見したり(いきなり三瓶買い込んだのは内緒です)、ちょっと前こちらで拝見して可愛いなぁ~と見とれていたフェアトレードのかごを売ってる屋台が出ていたり(またひとつ買ってしまったのは秘密です)、ラッキーなことが多かった(…ラッキーなのか?)

ちょっと散財しちゃったな。しばらく財布の紐を引き締めて頑張ります(何を?)






09 September 2010

トリノ さん





トリノの土曜日は市場、というのが決まりらしい。しかも蚤の市もあると聞いて大喜びしたワタシ、ホテルのフロントで市場の場所を聞く。

「Porta Palazzo、ここですよ」と地図を指して教えてくれるお姉さん。
「蚤の市もあるって聞いたんですけど、それはどこなんですか?」
「同じ場所ですよ」


地図で見た限り巨大な広場には見えなかったので、いつもリヨンで通ってる市場の感じプラスちょっとしたジャンクを売ってるブロカントだろうな~位の気持ちで行ってみたら、これがまぁアナタ。



市場は広場の中にきっちり収まってなくて、なんだかまるで広場の中心から始まって、外、つまり周辺の道沿いや近くにあるもっと小さい広場へ向かってにじみ出るようにお店がぶわぶわぶわっと広がっている。そいでもってすごい賑わい。ひええええ。


一番多いのはやはり野菜と果物のお店だったがこの記事に写真をアップしてます)、うろうろしていたら中から蛍光灯の紫色の灯りをぎらぎら放っている建物があって、入ってみたらお肉のお店がずらりと並んでいた。そこを出てまた野菜と果物の中を歩いていたら別の建物があって、中には魚介類のお店がこれまたずらずらっと。

さらに歩いていると今度は、洋服・バッグ・ベルト・サングラス等々のお店がずらずらずらずら...。オットが冗談で「服はあるけど靴がないね。ヨーロッパのイケメン兄ちゃん風のスニーカーが欲しいんだけど」と言っていたら、タイミングよく洋服のお店の波が途切れて靴のお店がこれまたずらずら~。さらに進むとキッチン用品のお店、それに混じって家庭内小物やおもちゃの店なんかがずらずら~。

行けども行けども市場に終わりがないのである。後で調べたらトリノの土曜市はヨーロッパでも一番か二番かという規模のものだそうで、それ読んで納得した大きさなのであった。肉と魚以外は全部「青空」。肉、魚、野菜、服飾・家庭用品と「売り場」が分かれているので、市場全部を回らなくても、欲しいものがある「売り場」に行って用事を済ませてさっさと帰宅することができる。もちろん全部ぐるぐる回ることもできる。イタリア風青空デパートとでも言おうか、そりゃもう実に楽しい、楽しい場所なんである。


で、その大きさと活気に圧倒されて蚤の市のことをすっかり忘れて歩いていたワタシであったが、市場から住宅街に向かう道に入ろうとしたら、あったのですよ、ガラクタ市。

うほうほ。





こちらも「青空」。コミックが大好きなムスコ、古本を売ってる店の前で固まって動かなくなってしまった。





お店のおじさんが親切に説明してくれる。Texというポピュラーなウェスタンコミックらしい。コンディションはいいのに一冊たったの1€で、イタリア語のビンテージのコミック本買う機会なんてもうないだろうと思ったので、ムスコに三冊買ってやった。フレンドリーなおじさんがにこにこ笑顔でくれたおまけは、これまたビンテージのミニカー。いくつかある中からムスコが選んだのは、レースカー。






ブレブレぼけぼけのこの写真、とても優しかった(ムスコが立ち読みしてても嫌な顔しなかった)あのおじさんに捧げます。いや捧げられても困るだろうけど。







ところで。オットの職場にはイタリアの人が沢山いるのだが、「トリノに行った。感じのいい街でとても楽しかった」と言うとみんなびっくりするのだそうだ。どうも国内的にはあまりよいイメージがないらしい。「もうちょっと足を伸ばしてミラノまで行けばよかったのに」とか、「トリノが本当のイタリアだと思ったらだめですよ」とか言われるそうだ。


じゃあ早く「本当のイタリア」を見に行かなくちゃね、と言うとオットは勘弁してくれというような顔をした。